スポーツについて考える

日本のスポーツ界を発展させていきたい。そのためにはどうしたら良いのかを色々な角度から検証してみたい。

今日のスポーツ紙一面

今日のスポーツ新聞、一社だけですが、ヌデレバが大阪国際マラソンで優勝したことが一面で取り上げられてました。(関西版)そうです、good job!! 野球ネタがないときは野球以外の記事を一面にしましょう。日本のスポーツ界を変えていくにはスポーツ新聞も変わっていかなくてはなりません。

私は通訳をしていたころ、野球がない日に良く記者に色々聞かれました。「選手は休みのときどっかいったんですか?」とか「選手って休みのとき何してるんですか?」とか。私はそんな時、いつも記者に言うことがあります。「世の中では色々なスポーツがあるんだから、野球が休みの時は他のスポーツのことも取り上げてみたら」と。そのときの反応は概して「そうなんですよね、でも、売らないといけませんからね」だった。

さて、一社だけ阪神のオクスプリング選手来日の話を一面で扱っていました。こっちはちょっと感傷的になってしまいました。去年まで来日記者会見、その場所にいたので・・・ちょっと寂しいです。

テーマ:スポーツビジネス&スポーツ文化 - ジャンル:スポーツ

なぜアメリカに渡ったか(4)

中3の時にアメリカから帰国し、中学、高校と野球部に所属したことは以前にも書きました。そして、この頃から日本のスポーツ科学について疑問を持ち始めたことも書きました。しかし、この頃の経験はかけがえのないものです。今でもチームメイトの奴等とは頻繁に連絡を取ったり会ったりしています。今会っても何の違和感もなく、昔のままです。私の知人が言っていました。「日本のシステムの中にもいいところもある」と。こんな友情を築けるのも日本の体育会のシステムのおかげではないかと思っています。

その後、エスカレーター式に付属の大学の経済学部に進学しました。トレーナーというものに少し興味を持っていた私でしたが、ある時アメリカのトレーナーのシステムは良いという話を聞き、ここでATCの存在について知りました。(ここではATCについては詳しくは触れません。また後日じっくりと説明します)つまり、アメリカにはトレーナーを育てる教育システムがあって、そのシステムで育った人が現場に出て活躍しているというのです。私は大いに刺激を受けて、アメリカ行きを決意(単純・・・)父にアメリカの大学に入りなおしたいと伝えました。当然ですが、父は反対しました。「何だかんだでまだ日本は学歴社会だから、お前はこのままアメリカに行ったら高卒扱いになる。大学を卒業してから好きな事をしなさい」という内容でした。後に父と話をしたとき、「卒業してから本当にアメリカに行きたいと言うとは思わなかった」と言ってました。ということで、とりあえず、大学を卒業することにしました。

大学ではなぜか陸上の長距離を走ってました。野球から陸上に行った理由はこのブログの趣旨とは離れるかもしれないのであえて書きません。(というか、早く先に進みたいので)その他に大学の体育会をまとめる団体「運動部常任委員会(通称:運常)」というものにも所属しており、ここでは最上級生時に委員長を務めておりました。この「運常」での経験なくして僕の人生は語れないほど、本当に色々な経験をさせてもらいました。この時の仲間も僕の大切な宝物です。「運常」での経験についても後日語れたらと思っています。

そんなかんだで、大学3年生の終わりになり、就職活動の時期がやってまいりました。この時になっても私のアメリカ行きの考えは変わっていませんでした。ただし、アスレチックトレーナーはちょっと難しそうだなと思い、トレーニングの道へ進もうと思っていました。友人が就職活動をするのを尻目に、私はTOFLEの勉強と留学先探しを始めました。

(続く)

なぜアメリカに渡ったか(3)

そんなかんだで2年間アメリカで過ごすことになりました。ここで私はアメリカのスポーツ文化に触れたのです。ここでの経験が私のスポーツに対する考え方の原点になっているのではないでしょうか。

スポーツのシーズン制

これに関しては後日じっくりと書きたいと思いますので、とりあえず私が経験したことだけをここで書きます。(1980年代後半で僕が通っていたニュージャージー州の中学校でのお話ということを前提に読んで下さい。現状では変わってるかもしれませんし、地域間でも違うかもしれません。また、記憶が間違っている可能性もありますのでご了承下さい。)まず、学校に運動部がないのです。そのスポーツのシーズンが来ると募集がかかって(募集の方法はどんなだったか、ちょっと記憶に無いのですが・・・)応募するとコーチの人から電話がかかって来て、練習開始。そしてすぐに試合をしました。私は野球はもちろん、秋はサッカー、冬はレスリングをやりました。野球とサッカーに関しては勝手に地域の人がチーム分けをしていて、週2回くらい練習して、日曜日試合という感じでした。そしてシーズンが終わったらチームは解散です。このシステムに関しては日本と全く違い、自分にとっては本当に良い経験でした。また、日本のスポーツを考える上でも身をもってこのシステムを体験したことは本当に意義のあることでした。

野球のキャンプ

夏休みに3週間、親元を離れ、野球のキャンプに参加しました。小学校3年生から中学校3年生くらいの日本人の子が集まってたと思います。そんな長期で親元を離れるのは初めてです。しかも僕は選手の中でも2番目くらいに年上でした。山小屋みたいなところに、みんなでビーチにある折りたためるベッドみたいなやつを並べて、そこに寝袋をしいての生活です。狸が部屋に入ってきてめちゃくちゃにしたりとかいう事件もありました。昼間は練習して、夜はキャンプファイヤーをしたりとか、本当に楽しかったです。やっぱり子供同士ですから、ケンカをしたりとか、ホームシックになったやつを励ましたりとか、中には日本語をほとんど話せない子や、逆に英語が出来ない子がいたりと、本当に色々な事がありました。バスで遠征に行ったりもしました。僕はキャッチャ(?!)をしていたのですが、どうしてもストライクを取ってくれないことがあって、子供心にこれは差別だ!!(日本人のチーム対アメリカ人のチームで審判はアメリカ人)と激怒して帰りのバスの中で泣きながら帰ってきた事もありました。隣にはピッチャーの子が黙って座っててくれました。あの時の悔しさは今でも昨日のことのように覚えています。

スポーツ以外でも、旅行に行ったり、僕はアメリカ生活を満喫していました。これらの経験を通して、いつかはアメリカに帰りたいという思いが心にあった事は確かです。

続く

なぜアメリカに渡ったか(2)

話は前後しますが、僕をアメリカに導いてくれた大きな要因となった出来事をご紹介します。

私は実はタイのバンコックで産まれています。その後3歳までタイにいて、その後6歳までアメリカのオレゴン州のポートランドというところにいました。父親の転勤について回る生活でした。このときに身をもってアメリカを体験していますし、幼稚園とは言え、英語での生活でした。両親に「家では日本語をしゃべりなさい!!」と怒られていたのを記憶しています。余談ですが、兄弟のいる家族(僕は一人っ子)は兄弟同士、家でも英語を話すので、日本語がしゃべれなくなる傾向があるようです。このアメリカでの幼少期の体験が僕をアメリカに導いた大きな要因の一つになっているのではないかと思っています。

小学校6年間は日本で過ごしました。1年生の入学時、やはり僕はアメリカ帰りの変わり者だったらしく、よくいじめられました。時々英語を使っていたようで、その時に僕は「英語」というものを無意識に頭の中からシャットアウトしていたようです。

それから6年、中学1年生のときにまたまた父の転勤でアメリカに行くことになりました。その時の僕の英語力は This is a pen. 程度でした。幼稚園時代の英語力は跡形もなく消えていました。僕は現地の中学に入学することになりました。初日、担当の先生が色々案内してくれたり、説明をしてくれました。そして最後に「Do you understand?」(分かりましたか?)と聞いてきました。家に帰って、母親に「understand って、どういう意味?」と聞いていました。「分かりましたか?」と聞かれてることすら分からなかったのです!!Oh my god!!

こんな状態で新学期がスタート、数学以外は全く分かりまん状態でした。数学は数学で、中学一年で分数の計算ですよ、信じられますか??しかも、授業に計算機持込可。「何じゃ、この国は」と子供ながらにビックリしてしまいました。

アメリカに行って6ヶ月くらいしたある日、本当に不思議なことがおきました。朝目覚め、寝ぼけながらリビングへ。そこでは普通にアメリカのニュース番組が映し出されるTVが。しかし何かが違う。そう、分かるのです!!言っている意味が、完璧とは言わないまでも昨日とは全然違う感覚で分かるのです!!なんじゃーこれは・・・突然脳の中にあった6年前の記憶が蘇ったのです!!人間って凄すぎる。


続く

なぜアメリカに渡ったか

プロフィールを見ていただければ分かりますが、私は日本の大学を卒業した後、アメリカの大学院に留学しています。今日はそのいきさつをご紹介します。

私は小学校から高校まで野球少年でした。不思議な家庭で、父親方はみな大の阪神ファンで、母親方は大の巨人ファンでした。そんな影響もあり、子供のころから後楽園、神宮、横浜スタジアム、西武球場と足を運んでいました。甲子園も一度だけ行った事があります。小学校4年生か、5年生の時でした。父親が是非行きたいと、知り合いの人に頼んで巨人−阪神戦のチケットを入手し、土曜日の授業が終わった後、新幹線でいざ甲子園へ。当時私は巨人ファンだったので、当時の3本柱と言われる「江川、西本、定岡」の誰かが見たいと思っていました。するとジャイアンツのピッチャーは全然聞いたことのないピッチャーではないですか。わざわざ東京から来たのに・・・しかし、しかしです。このピッチャーが凄い!!150km以上を連発するではありませんか。こんな奴がジャイアンツにいたのか、と感動。試合は行き詰る投手戦、0対0のまま延長戦へ。スミスが10回表にタイムリーを放ち、1−0で巨人が勝ったのでした。このピッチャー、後の巨人のエースとなる槙原投手だったのです。何と彼のプロ初先発をライブで見てしまったのです!!あのときのことは今でも忘れません。

さて、中学、高校と進み野球漬けの毎日です。(決して強くはありません。むしろ弱かったです。)その中から僕の中で少しずつ疑問がわいてきました。まず、自分も含めて肩を痛めたとき医者に行くと「しばらく休めば直るよ」と必ず言われました。休むって・・・アスリート(と呼べるか分かりませんが・・・)にとって休むことほど辛いものはありません。(練習は辛くてやめたいと思っているくせにいざ休めと言われると嫌なもんですね、不思議・・)何かよい治療方法やトレーニング方法があるのではと子供心に思っていました。また、冬場の走りこみも、もっと効率的なトレーニングの方法があるのではないかなと思っていました。メニューも主将が作ったものです。このあたりから日本のスポーツ医療のあり方、トレーニングの非科学性(根性論ともいいますが)などに疑問を抱き始めました。

(続く)

開始

いよいよブログを始めます!!

このブログでは私がこの10年くらい思って来たことを少しずつ書いていきたいと思っています。自分の思っていることを整理する良い機会でもあります。特にスポーツの話題が多くなると思います。現在日本のスポーツ界には色々な問題があります。それらの問題点を皆様と検証して少しでも日本のスポーツ界発展のために貢献出来たらいいなと思っています。皆様のご意見もお待ちしています。

今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

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