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2020年までにスポーツを新たな産業の担い手にするためのブログ

日本のスポーツ界を発展させていきたい。そのためにはどうしたら良いのかを色々な角度から検証してみたい。

なぜアメリカに渡ったか(4)

中3の時にアメリカから帰国し、中学、高校と野球部に所属したことは以前にも書きました。そして、この頃から日本のスポーツ科学について疑問を持ち始めたことも書きました。しかし、この頃の経験はかけがえのないものです。今でもチームメイトの奴等とは頻繁に連絡を取ったり会ったりしています。今会っても何の違和感もなく、昔のままです。私の知人が言っていました。「日本のシステムの中にもいいところもある」と。こんな友情を築けるのも日本の体育会のシステムのおかげではないかと思っています。

その後、エスカレーター式に付属の大学の経済学部に進学しました。トレーナーというものに少し興味を持っていた私でしたが、ある時アメリカのトレーナーのシステムは良いという話を聞き、ここでATCの存在について知りました。(ここではATCについては詳しくは触れません。また後日じっくりと説明します)つまり、アメリカにはトレーナーを育てる教育システムがあって、そのシステムで育った人が現場に出て活躍しているというのです。私は大いに刺激を受けて、アメリカ行きを決意(単純・・・)父にアメリカの大学に入りなおしたいと伝えました。当然ですが、父は反対しました。「何だかんだでまだ日本は学歴社会だから、お前はこのままアメリカに行ったら高卒扱いになる。大学を卒業してから好きな事をしなさい」という内容でした。後に父と話をしたとき、「卒業してから本当にアメリカに行きたいと言うとは思わなかった」と言ってました。ということで、とりあえず、大学を卒業することにしました。

大学ではなぜか陸上の長距離を走ってました。野球から陸上に行った理由はこのブログの趣旨とは離れるかもしれないのであえて書きません。(というか、早く先に進みたいので)その他に大学の体育会をまとめる団体「運動部常任委員会(通称:運常)」というものにも所属しており、ここでは最上級生時に委員長を務めておりました。この「運常」での経験なくして僕の人生は語れないほど、本当に色々な経験をさせてもらいました。この時の仲間も僕の大切な宝物です。「運常」での経験についても後日語れたらと思っています。

そんなかんだで、大学3年生の終わりになり、就職活動の時期がやってまいりました。この時になっても私のアメリカ行きの考えは変わっていませんでした。ただし、アスレチックトレーナーはちょっと難しそうだなと思い、トレーニングの道へ進もうと思っていました。友人が就職活動をするのを尻目に、私はTOFLEの勉強と留学先探しを始めました。

(続く)
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